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【2012寒假读书报告】——2008级本科生党支部李燕清
发布时间:2012-03-02
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《ヘレン・ケラー伝記》の再読

初めて《ヘレン・ケラー伝記》を読んだのは中学二年生の時、本を読んだ後もあまり深く考えていなかったから、本文の内容はほとんど忘れていた。ただヘレン・ケラーは目が不自由で、耳も聞こえない人だが、すばらしい人生を過ごしたことしか頭の中に残っていない。でも、再びこの本を読んだ後、私はいろいろ考えた。だから、今度は自分が考えたことを忘れないうちに感想文に書いておこうと思う。次が私がまとめたいくつかの感想だ。

私は幸せだ

私はうちが貧しいから、いろいろ苦労した。同じ年の人が楽しく遊んでいるとき、私はたくさんの家事をしなければならなかった。ほかの人が父母から小遣いをもらって,おやつを買いにいくのを見たときすごくうらやましかった。それから,家にいる時は母が弟の味方で、父は妹の味方で、誰も私を愛してくれないといつもそう思っていた。何でみんながこんな豊かで、幸せな家庭に生まれて、私だけがこんなに不幸なのだろうと思っていた。でも、ヘレン・ケラーのような体の不自由の人と比べて、私はどんなに幸せか、何で今まで私はこんなことにきづかなかったのだろう。幸せとは何だろう。物質的な豊かさか、それとも精神的な豊かさか。今の私は後者が最も重要だと思う。私を健全な体で生んでくれ、愛情を注いで私を健やかに育ててくた両親のおかげで、私が周りの景色や周りの人が自分の目で見ることができる。私は自然の音が聞こえる。私は普通の人のようにしゃべられる。以前、私はこんなことは当たり前だと思っていた。恥ずかしいことだが、私は今まで自分の目や耳などで真面目に自然の美しさを味わうことは一度もしてこなかった。だから、これから私はこの健全な体を大切にし、できる限り周りの美しさや私自身の幸せを味わおうと思っている。

みんなの身の回りにもきっとこのような幸せが存在しているよ。だから、一緒にこの幸せを大切にし、楽しく生きていこう。

世の中は信用できる

 現代社会は物質至上の社会になりつつあるといわれている。人々がみんな自分の利益ばかり追っている。いわゆる、虫のいい人ばかりだ。誰かを本心で助ける人なんていない。私はこのような話も聞いたことがある。「道である老人が倒れたのを見ても、助けようとする人がいない。」このような記事をよくニュースで読んだ。なぜかというと、助けようとすれば、自分がその老人を倒したと言われるかもしれないから。たしかに、そのようなことがあった。もし私がそのようなことに遇ったら、私はどうするか。たぶん、私も自分を守るために何もしないか、あるいは警察にだけ連絡するだろう。「今、世の中には人を騙すことがいっぱいある。気をつけないと、詐欺に嵌まってしまうぞ」とよく注意された。だから、私は外で人に口を聞かれてもほとんど答えない。時々自分がつめたい人間になったなあと思うのだが、でもそれも仕方ないだろう。世の中には悪い人がいっぱいいるのだから、自分をちゃんと守らないと。いつもこのような言い訳をする。自分が人を信用できないから、人に助けを求めることも、人に本音を吐くことも避けている。結局身の回りの親友も少なくなった。

ところが、ヘレン・ケラーはいろいろな人に助けられた。彼らはきっとヘレン・ケラーがかわいそうだから、彼女を助けたわけではない。彼らはきっとヘレンの素直で、前向きな性格に感動し、彼女を好きになり、彼女の友達になり、誠心誠意助けようとしたのだ。それほどたくさんの友達がヘレンを支えてくれたから、彼女はあんな立派な人間になれたのだ。過度の自己保護から解放して、素直に自分の気持ち、自分の考えを周りの人に発信することは今の私にとってとても大事なことだと思う。これから、私はマイナスなことにくよくよせず、世の中を信じながら、自分なりに生きていこうと思う。

私は努力が足りない

 私は今まで自分がベストを尽くして、ずっと頑張って来たと思っていた。私は小学校から大学まで、ずっと優秀な成績を保っていて、隣近所によくほめられ、両親の誇りだと思われてきた。時々、私もこれは自慢できることだと思ってきた。でも、ヘレン・ケラーと比べると、私は恥ずかしい限りだ。彼女は体の不自由に負けず、小さい頃から夢を持って、いろいろな困難を克服して、世界的に有名な大学に入った。それと同時に、彼女はいくつかの外国語を身につけ、数え切れない本を読んだ。いろいろなところへ旅行にした。いろいろな趣味を楽しんだ。それにひきかえ、大学に入った私は相変わらず試験のために勉強している。試験が終わった後は何をするか分からなくなる。今までテキスト以外読んだ本はほんのわずか。そして、頭の中に残っている内容はまたほんの少し。日本語を専門としている私は、三年間日本語を習ったが、全部日本語で書いた本を読む勇気さえなかった。私は勉強だけで精いっぱいだと思ってきた。趣味を楽しもうとか旅行するとかは贅沢な思いだと考えてきた。今考えてみると、私の勉強はそれほど忙しくもないのに、私の時間だけは知らず知らずのうちに流れてしまった。

 これから、私はしっかり自分の時間を利用して、勉強をしながら、自分の趣味も楽しめるようにもっと努力すべきだと思う。