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【2012年暑期读书报告】——2009本科生党支部沈雪梅
发布时间:2012-09-19
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あきらめず歩いてゆこう
「家本賢一郎自伝」を読んで
外国語学院2009級日本語学科 沈雪梅
先日、何かを読もうと思って図書館へ行ったらこのような文字が書いている本に目が引かれました。「15歳の会長は収入一年で5億の椅子車少年」。だと。会社の会長が15歳の少年だ?しかも収入が一年で5億も?それに健全なひとでもないのに?と私の頭にはいろいろな疑問が出てきました。その理由はなんだろうという好奇心で、私はこの本を読んでみろうとして本棚からこの本を取り出しました。
1981年の秋、家本賢一郎は名古屋で生まれました。いろいろな趣味を持っている家本はお父さんの影響で将来野球選手になる夢を持って幸せな生活を過ごしていました。しかし、その幸せが突然飛んで行ったのは家本が四年生の時のことでした。熱が続き、体力は毎日落ちてきました。名古屋の病院へ行ったが、病因は検察で出てきませんでした。時には学校にも行ったが、体力のためまた入院しなければならない状況でした。それに、視力が落ちてくるのも日々目に見えました。東京へ行ってまた検査を受けたらなんと脳に腫瘍ができたと言われたのです。まだ学校に通っている妹のため、手術は名古屋へ帰って受けることにしました。家族全員が希望を持っていたとき、不幸はもう一度起こりました。医者の誤りで家本は手術で頭以外には動けなくなったのです。夢が野球選手になる子がもう落ち込んでいて生きている意義さえわからないようになっていました。このような希望を失った家本に力になったのはもう一人の足が不自由な人でした。彼との交流で家本は毎日頑張って上半身が動けるようになりました。この間家本はコンピューターについてすごく関心を持つようになっていました。筋肉のトレーニング以外に彼は病室でコンピューターの研究をしたのです。その結果、14歳の時、家本はやっととても優れたソフトウェアを創り、「clara online」という会社を創ったのです。
これを読んで私はすごく感動しました。時の流れは速いもので、人生の道で、私は22年歩いてきました。この22年間を振り返ると寂しい時も、うれしい時も、涙を零す時もたくさんありました。その中には失敗したこともたくさんありました。その中で一番忘れられないことをいうと大学入学試験です。
小さいごろからずっと成績が結構よかった私ですが、最後の最後に、あんまり理想的な成績を得られなかったです。それで自分が行きたかった大学にも行けなくなっていました。成績が出たとき、私はすごく落ち込んでいました。まるで人生が暗くなっていたみたいでした。大学に入ってあまりやる気がなくなり、私はあまりよく勉強していなかったです。そんな私にまた光をくれたのは大学の八坂先生です。先生の会話の授業で先生は文章を読んだ私に「うまいね。」と言ってくれました。ただの「うまいね。」という言葉ですが、私にとっては何よりもいい励まれる言葉でした。「まじめに勉強していこう。」と私は自分に言いました。勉強すれば勉強するほど、日本語は難しくなりましたが、その反面、日本語がもっともっと好きになりました。
大学入学試験の失敗で日本語を勉強するようになりましたが、今はそのおかげで日本語を勉強することができて本当によかったと思っています。今考えると私はずっと成功していたかもしれません。何の大きいな成果を得たわけではなく、ただずっと幸せな人だったからです。私には私を愛してる両親があり、一緒に泣き、一緒に笑ってくれる友達があり、生活を一所懸命楽しめる健康的な体があります。これを見ると私はなんと幸せな人だろう。家本が最後に成功したのは結局彼の負けたくないという決意と未来に対する希望ではないかと私は思います。だから、これからは私もずっと夢を向かってあきらめずに頑張っていこうと思います。